8/15 戦争による疎開生活(6年間)の苦しい体験 終戦記念日
・防空壕や近隣の川への避難訓練をよく行った
・バケツリレーなど消火訓練も行った。
・20年に神戸の家は焼かれてしまった。(焼かれる前に疎開)
昭和19年 : 神戸市から兵庫県宍粟郡に疎開
20年 : 6歳 安志(今、安富南)小学校、1年生入学
通学距離:片道 4Km、
学校で空襲警報のサイレンが鳴ると下校になる
(集団で居ると被害が大きくなるため散らす?)
途中、艦載機(飛行機)が低空から機関銃で狙われて竹薮の
中に逃げ込んだ、上級生が白い(夏)服を脱げと言った。
・食糧難、(食用野草を良く食べて生き延びた)
・物資不足
・生活困窮
・疎開先で6年間、いじめられた(都会から、よそ者が来たと言う・・・?)
・配給制(米穀通帳)
・給食なし:粉ミルクをバケツで溶かしてコップ1杯
・苦労や困窮内容を書き出したら切りが無い(衣食住他種々)
・この時期の生い立ちにより現在の自分(精神)が有る
25年 : 神戸市に帰郷(6年間 疎開生活)11歳 春日野小学校に転校 5年生
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米穀通帳と古い紙幣が出てきた
米穀通帳 日本銀行兌換券
昭和13年 紀元2598年 同左 昭和18年
内閣印刷局製造